市川猿弥、海老蔵のブログに!妻やwiki風プロフィール、猿之助との関係は?

今回は新橋演舞場にて壽 新春大歌舞伎が公演中で、三代目市川右團次さん、二代目市川右近さんの襲名披露があり、猿之助さんや、海老蔵さん、中車さんなど出演しており、豪華に華を添えます。

市川右團次さんはこちら↓

市川右近(三代目市川右團次)襲名、息子や嫁は?海老蔵との関係も気になる

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その中でも、今回注目したいのが市川猿弥さんです。

正直、誰やねん?!と思いましたが、私が無知なだけでとても歌舞伎の中でも

芝居や舞踊の実力は、一際目を引くといいます。

そんな市川猿弥はどんな方なのか、見ていきましょう!

市川猿弥さんwiki風プロフィール

http://www.sankei.com

生年月日 昭和42年8月15日

本名 久住良浩

大学 日本大学芸術学部演劇学科卒業

屋号 澤瀉屋

体重 87キロくらい

好きな食べ物 お米

50年1月歌舞伎座『菅原伝授手習鑑』寺子屋の寺子四郎蔵で久住良浩の名で初舞台を踏まれています。

53年5月に市川猿之助(現・猿翁)の部屋子となり、南座『加賀見山再岩藤』の志賀市ほかで二代目市川猿弥を名のる事になったそうです。

平成10年7月歌舞伎座『義経千本桜』の武蔵坊弁慶で名題昇進されました。

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澤瀉屋といえば、スーパー歌舞伎ですね。四代目が猿之助を襲名され、スーパー歌舞伎II(セカンド)を作られ盛り上がりを見せています。

そのスーパー歌舞伎II(セカンド)での猿弥さんの配役はジンベエ、黒ひげ(ティーチ)です。

お顔からも分かる通り、とてもいいお人柄のようですね。

きっと皆さんに親しまれる存在だと感じます。

舞踊もとてもお上手のようですが、本当は苦手だということです。

しかし、藤間紫さん(市川猿之助(現・猿翁)の妻)に稽古してもらったそうで細かかな指導

を受けて、上達していったということです。

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猿弥さんはとても市川猿之助(現・猿翁)のことを尊敬されているようです。

子役時代からその才能に目をつけられていたようですが、その分すごく厳しかったようで、

大変な下積み時代を送られていたみたいです。

私は技術的な専門職を本業としております。もちろん、師匠と呼べる人はいるわけです。

この記事を書くようなお仕事にも師匠はいます。メンターといいますか^ ^

誰に教わるかによって、同じ技術を習得するにもいろんな違いがあり、教わるペース、

クオリティー、本当に誰が教えるか、師匠は誰かにより、思考や行動、さらには

人生が変わってくるとも言えると私は身をもって感じます。

猿弥さんはその師匠に教わり、歳を重ね、芸に自分の色もついていらっしゃること

と思います。

市川猿弥さん妻はいる?

市川猿弥さんですが、あまりプライベートが明かされていないのか、家族や

妻に関する情報をつかむことができませんでした。。。

すみません。

もしも、50代、孤独でしたら、ちょっと不思議な感じがします。

なぜなら、歌舞伎界は奥様、妻が縁の下の力持ちという感じで重要だからです。

梨園の妻の一番の仕事は、“跡取り”の男子を産むことが課題のようです。

男子がなければ家系が途絶えるため、養子を取るともあるようです。

それに加え、贔屓(ひいき)筋とのつながりも重要で、後援会に入っていて、月に2回以上は舞台に足を運ぶような常連客のことで、年に100万円単位のお金を落としていくお客様もいらっしゃるようで、大切にしていかなければならないみたいです。

全員の名前を覚えたり、年賀状も数千、いや、1万枚を超えるとか、公演中は毎日舞台に足を運んで、楽屋にあいさつに来た方には必ずお礼状を送ったりと、仕事が山積みのようです。

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こんな妻の仕事があり、子供ができれば、育児、家事、家のしきたりを覚えたり、上下関係もすごいので、先輩妻たちとうまくやっていかなければならないと思うので、大変そうですね。

市川猿弥さんとっても素敵な方みたいなので、しっかりいらっしゃるのかなと勝手に

予想していますw

市川猿弥さん海老蔵のブログに出てる?

http://ameblo.jp/ebizo-ichikawa/entry-12236486376.html

今、新橋演舞場にて壽 新春大歌舞伎が公演中で、三代目市川右團次さん、二代目市川右近さんの襲名披露が公演中で、毎日のように海老蔵さんのブログにのていました。

海老蔵さんの息子のカンカン(勧玄くん)とのワンショットを見つけました。

毎日楽屋で役者仲間の皆さんと楽しそうです!

市川猿弥さんと猿翁さん(猿之助)との関係

先ほどもちらっとお話ししましたように、もともと歌舞伎の家の生まれではない市川猿弥

さんは、児童劇団出身だったそうです。

しかし歌舞伎の舞台に子役として出演していたところ、素質を見抜いた猿翁さんに

声をかけられ、部屋子(特別待遇の弟子)になったといいます。

猿翁さんに憧れて入門したわけではなかったとのことですが長く舞台を踏まれて、

しっかりと澤瀉屋として功績を残していかれる中、やはり師匠の猿翁さんへの

尊敬は増していったたと思います。

最後に

誰からも愛されるお人柄の市川猿弥さんは、芝居と舞踊もトップクラスの実力派で、

澤瀉屋にはなくてはならない存在ということがわかりました。

師匠と弟子の関係ですが、これもアスリートの監督と選手もあるかもしれませんが、

部屋子になり子供の時から稽古して行く中で独特の信頼関係が築き上げられると思います。

なので本当の親が師匠の方はこれがあるため、稽古中は普通、親子にはない距離感があると思います。

猿翁さんが病に倒れても、しっかりと弟子たちに受け継がれていってるので、これからも

市川猿弥さんの活躍と芸をさらに継承していっていただくのを期待します。

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